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オカリナ大好き

Author:オカリナ大好き
最近オカリナ始めたばかりの初心者です。
(2007/02/26スタート)
オカリナって素人っぽい音色も魅力の一つです。
つまり初心者の演奏でも、それなりの味わいがあります。
…っと、思って、これまで練習した曲を公開しました。
オカリナを演奏される方々は「お手本」ではなく「反面教材」として
ご利用頂ければ…

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「オカリナ」歌劇・マルタより「夢のごとく」
フロトー作曲のオペラ・マルタ第三幕のアリア
「夢のごとく」です。ヴァヴァロティとか
有名なテノールがよく歌う曲なので、オペラは
知らなくてもメロディだけは聴かれた人が多いと
思います。(自分もですが…^m^)

さて、こうして色々とWEB上で練習した曲を公開して
おりますが、最初は結構恥ずかしいものです。
また知人ばかりですが人前で演奏するのも…(*^_^*)

でも一人で吹いているとそのモチベーションを
維持することが難しく大抵一年足らずで止めて
しまうケースが多いようです。

そう言った意味では何か刺激になるようなことが
あったほうが続けるためには良いようです。

演奏するのが「恥ずかしい」ということを
最近つらつら考えているのですが、皆さんは
コンニャク・ゼリーを食べたことはある
でしょうか?

基本的にはあれと同じです。(*^^)v

カップの上の紙をペリッと剥がしますよね。
でもシゲシゲとニュルとした中味を眺めることは
ないでしょう?すぐパクッと口に入れます。
そのまま飲み込むと喉に詰まるので即クチャ、クチャ
と噛みます。

つまりシゲシゲと眺めるから恥ずかしいのであって
口に入れてクチャクチャ食べてしまえば、恥ずかしい
って思う時間はありません。

ペリッ、パクッ、クチャ、クチャの間にどこにも
シゲシゲが入らないのです。

オカリナも同じです。

音が出る前は誰にも音が聞こえない。
音が出始めた瞬間、演奏に夢中になって聴いて
評価する時間なんて存在しないのです。

主観的な時間だけが流れるのです。

シゲシゲは吹く前の想像上の産物か、或いは
吹き終わった後の付け足しの妄想にしか
過ぎません。

もっとはっきり言ってしまえば、メロディの
イメージを音に変換する物理的な身体動作しか
現実には存在しない。
息の方向、強弱、指の動きと聴覚だけ…

それでは、さらにこの「恥ずかしさ」に
近づきます。

実は演奏が下手だから恥ずかしいのではなく、
どうもかなり上手な人でも恥ずかしいって
感じはあるようです。(プロの演奏家の随筆など
を読むと書いてあります。)
恥ずかしさは繊細さと裏表ですから、逆に
恥ずかしく感じない人は演奏に向かないの
かも…^m^

ではシゲシゲの対象となるコンニャク・ゼリーの
ような「ニュルとしたもの」とは一体何でしょう?

音を生み出す身体作業を制御しているのは、
感情です。心の奥底に秘められている深層心理や
記憶と深く結びついています。

その生の姿をシゲシゲと眺める或いは眺められるのが
恥ずかしいのではないでしょうか。

無防備の生だからニュルっと…(*^_^*)

また、こうやって言語によって「恥ずかしさ」などを
分析する行為はオカリナの演奏にとっては、
あまり意味がないのです。言語化能力は反って
演奏の邪魔になります。どちらかと言うと
シゲシゲに近い…。^m^

コーチや監督には不可欠な能力でもプレイヤーには
不要ってことです。それよりも主観的な身体感覚と
動作を研ぎ澄ませたほうが良い。

昔ホロヴィッツという有名なピアニストがいました。
当時はラジオとレコードの時代ですから、
ビジュアルは二の次です。
演奏している姿はカマキリのようだった…
とのことです。
形振り構わず音に専念していたのでしょう。

今じゃ音楽コンクールもビジュアル性が
求められますから、そうも行かないでしょうが…

回りくどく、色んなことを述べてまいりましたが、
要はコンニャク・ゼリーを食べるときのように
オカリナ演奏も煎じ詰めれば、ペリッ、パクッ、
クチャ、クチャの身体動作に還元されるって
ことを言いたかった訳でして…。

「夢のごとく」寝言をつぶやいただけ、
深い意味はありません。m(__)m

でもこれで「よし、自分もWEB上で練習した曲を
公開してみよう!」って、気分になった方が
居られたらご連絡下さい。

聴かせて頂きますので…\(^o^)/

歌劇・マルタより「夢のごとく」
オカリナ初心者の部屋
【2008/06/03 12:01】 | オカリナを楽しむ | トラックバック(0) | コメント(0) |
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