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フロトー作曲のオペラ・マルタ第三幕のアリア
「夢のごとく」です。ヴァヴァロティとか 有名なテノールがよく歌う曲なので、オペラは 知らなくてもメロディだけは聴かれた人が多いと 思います。(自分もですが…^m^) さて、こうして色々とWEB上で練習した曲を公開して おりますが、最初は結構恥ずかしいものです。 また知人ばかりですが人前で演奏するのも…(*^_^*) でも一人で吹いているとそのモチベーションを 維持することが難しく大抵一年足らずで止めて しまうケースが多いようです。 そう言った意味では何か刺激になるようなことが あったほうが続けるためには良いようです。 演奏するのが「恥ずかしい」ということを 最近つらつら考えているのですが、皆さんは コンニャク・ゼリーを食べたことはある でしょうか? 基本的にはあれと同じです。(*^^)v カップの上の紙をペリッと剥がしますよね。 でもシゲシゲとニュルとした中味を眺めることは ないでしょう?すぐパクッと口に入れます。 そのまま飲み込むと喉に詰まるので即クチャ、クチャ と噛みます。 つまりシゲシゲと眺めるから恥ずかしいのであって 口に入れてクチャクチャ食べてしまえば、恥ずかしい って思う時間はありません。 ペリッ、パクッ、クチャ、クチャの間にどこにも シゲシゲが入らないのです。 オカリナも同じです。 音が出る前は誰にも音が聞こえない。 音が出始めた瞬間、演奏に夢中になって聴いて 評価する時間なんて存在しないのです。 主観的な時間だけが流れるのです。 シゲシゲは吹く前の想像上の産物か、或いは 吹き終わった後の付け足しの妄想にしか 過ぎません。 もっとはっきり言ってしまえば、メロディの イメージを音に変換する物理的な身体動作しか 現実には存在しない。 息の方向、強弱、指の動きと聴覚だけ… それでは、さらにこの「恥ずかしさ」に 近づきます。 実は演奏が下手だから恥ずかしいのではなく、 どうもかなり上手な人でも恥ずかしいって 感じはあるようです。(プロの演奏家の随筆など を読むと書いてあります。) 恥ずかしさは繊細さと裏表ですから、逆に 恥ずかしく感じない人は演奏に向かないの かも…^m^ ではシゲシゲの対象となるコンニャク・ゼリーの ような「ニュルとしたもの」とは一体何でしょう? 音を生み出す身体作業を制御しているのは、 感情です。心の奥底に秘められている深層心理や 記憶と深く結びついています。 その生の姿をシゲシゲと眺める或いは眺められるのが 恥ずかしいのではないでしょうか。 無防備の生だからニュルっと…(*^_^*) また、こうやって言語によって「恥ずかしさ」などを 分析する行為はオカリナの演奏にとっては、 あまり意味がないのです。言語化能力は反って 演奏の邪魔になります。どちらかと言うと シゲシゲに近い…。^m^ コーチや監督には不可欠な能力でもプレイヤーには 不要ってことです。それよりも主観的な身体感覚と 動作を研ぎ澄ませたほうが良い。 昔ホロヴィッツという有名なピアニストがいました。 当時はラジオとレコードの時代ですから、 ビジュアルは二の次です。 演奏している姿はカマキリのようだった… とのことです。 形振り構わず音に専念していたのでしょう。 今じゃ音楽コンクールもビジュアル性が 求められますから、そうも行かないでしょうが… 回りくどく、色んなことを述べてまいりましたが、 要はコンニャク・ゼリーを食べるときのように オカリナ演奏も煎じ詰めれば、ペリッ、パクッ、 クチャ、クチャの身体動作に還元されるって ことを言いたかった訳でして…。 「夢のごとく」寝言をつぶやいただけ、 深い意味はありません。m(__)m でもこれで「よし、自分もWEB上で練習した曲を 公開してみよう!」って、気分になった方が 居られたらご連絡下さい。 聴かせて頂きますので…\(^o^)/ 歌劇・マルタより「夢のごとく」 オカリナ初心者の部屋 |
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